ALL iz thiik hai! 一社会言語学者のブログ

社会言語学&バイリンガリズム&南アジア系移民 研究を中心とした自分の思索の記録 ALL iz thiik hai とは、訳すと「ALL is オーケーだ」。かなり色々なものをかけたマニアックで深ーい表現。

「面白さ」と「わかりやすさ」が犠牲にするもの―「日本人女性の声が高いのは、ちっちゃいと思われたいから」について

0. はじめに

0.1 電話口の声のトーンをあげること

非常勤先に自分のちょっとした不手際からの依頼をするため、電話をかけた。いつもよりも2トーンくらい上げ、また「大変お世話になっております…大変恐縮ですが…」など、色々な丁寧表現をいれた。

 

2トーン上げた、とわざわざ書いたのは、私が意識的にやっているということを示すためである。10年以上前の話だが、イギリスから帰国して1年以内の頃。特になんでもないのに、電話口で警戒され冷たくつっけんどんな対応をされたことが二度ほどあった。何がきっかけだったか忘れたが、特に電話口での声のトーンが一般的な日本人女性よりも低いことに気づき、高くしてみたところ、理由なく冷たくつっけんどんな対応をされることはなくなった。

 

今となっては、私は社会言語学者なので、欧米と日本とでのコミュニケーションスタイルの違いだとか、女性のことば、または女性でなくても、様々な(人種、階層、地域、人物像などの)ステレオタイプとことばの関係に関しては、幅広い実例、データ、および理論を知っている。

 

そんなわけで、1年ちょっと前、たまたまNHK「チコちゃんに叱られる」(2018年10月放送)で女性の声に関する番組を見たとき、どういう話でどういう結論になるか、というのを見ていた。そして、憤慨した。

 

 

1. 問題の番組「日本人女性の声が高いのは、ちっちゃいと思われたいから」

1.1「チコちゃん」は何と言ったか

 どんな番組だったか詳細には覚えていないし、ほんの数分の話をリアルタイムで見ていたら、逃してしまう情報も多いだろう。ここでは、ネット上に記録されているこの番組のこの回の情報を参考にして番組のおおまかな内容を再構築して、検証したい。なお、オリジナルの番組を再度見たわけではないので、間違いがあるかもしれない。

 

Q なんで女性は電話に出ると声が高くなるの?

A ちっちゃいと思われたいから

 

なぜ?

(1) 解剖学的・生物学的事実

声帯が細くて短い=高い声 

声帯が太くて長い=低い声

 

高い声=体が小さい 体が小さい=力が弱い、危害を加えない、かわいらしい、無害

 

高い声を用いて、自分が小さくて無害であることを示し、安心させる。

 

電話口では、表情等で自分の態度を相手に伝えられないため、声の高さ・声質・話し方を意識している。

 

そのため、高い声=攻撃する意図がない

 

ここまでは納得だが、ではなぜ男性は高くならないの?

(もしかしたら、番組では男性も高くなることが言及されていた、あるいは女性だけ高くなるとは言っていないのかもしれない。しかし、元の質問は「女性は」だったはず…)

 

(2) 音響音声学的事実

日本で街頭インタビュー。

 

日本人25人中、23人が「高い声の方が印象がいい」と答えた。

 

一方で、外国人(どこかは言われていないが、おそらく欧米圏をねらったのだろう)25人では、12人が高い声、13人が低い声が印象がいい、と答えた。

 

川原准教授は、日本の女性が「コミュニケーションを円滑にするため、高い声を用いているのかもしれない」と述べた。

 

 (2)から、望ましいと思われている女性の声の高さは文化差であることが示されている。

(1)は日本女性の声の高さの理由を述べたのだろうが、ではどうして欧米では(1)が反映されていないのか。この点について、テレビで解説があったかはわからない。正直、(2)は(1)とは直接関係ない。

 

しかし、女性が電話に出るとき声が高くなる理由というのは、「ちっちゃいと思われたいから」である、ということである。

 

また、「高い声」は女性だけに当てはまることなのだろうか。日本では男性も電話口で声のトーンをあげているのではないだろうか。なんだか、「女性は電話口でよそ行きぶって声を高くする」みたいな偏見を、研究を使って正当化したみたいにも見える。

 

1.2「コミュニケーションを円滑にしたい」から「ちっちゃいと思われたい」への論理的飛躍

「コミュニケーションを円滑にするため」と、「ちっちゃいと思われたい」には、だいぶ距離がある。

 

番組による「コミュニケーションを円滑にしたい」の解釈

「コミュニケーションを円滑にしたい」

「攻撃としてとられると面倒になるので、この電話は攻撃ととってほしくない」

「私は攻撃的ではない」

「小さくて弱いものは攻撃的ではない、あるいは攻撃しない」

「ちっちゃいと思われたい」

 

 

私の「コミュニケーションを円滑にしたい」の解釈

「コミュニケーションを円滑にしたい」

「相手に対して協力的であることを示すことで、相手からなるべくよい対応を得たい」

「相手に対して協力的であることを示すには、相手が協力的であるという印象をもつような言葉遣いや話し方をしよう」

(もちろん、私ならここで「ポライトネスのストラテジーを使おう」となるが、一般的には次のようになると想像する)

「明るくやさしく丁寧な感じでしゃべろう」

 

 

そもそも、多くの電話は攻撃がデフォルトではない。なので、「私は攻撃的ではありません」とわざわざ示す必要がない。また、「女性からの電話=攻撃」と電話口の人が構えていることも一般的ではない。そのため、女性が「攻撃的と思われないように」わざわざ声を高くする、という説明は、おかしい。

 

1.3 メディアが捏造する「説」と、ミスリーディングな「諸説あります」

 ふつふつと一人で怒っていたこの番組、だいぶ広く影響があったようである。あるとき母や妹(非同居)と話していたら、ちょうどだいぶ前に放映されたこの話が話題になったのだ。声帯などの医学的に当然で既知でわかりやすい事実が出ていたため、うちの母と妹は、すっかり騙されていた。「どうして人類は普遍的に女性の方が声が高いのに、アメリカでは日本と異なる結果がでているの?矛盾していない?」とツッコミをいれた。母と妹は、答えにしどろもどろになったが、まあ諸説あるから、と私のツッコミを「諸説」にしたいようだった。(移民フェミニスト作家の文学作品の分析をして修士号をとった妹よ…涙)

 

 番組では「なぜ女性が電話口で高い声になるかは諸説あります」と述べている。私の上記の反論は、「諸説」に入れられてしまうのだろう。しかし、提示したデータとデータの間の論がおかしい場合は、その説は否定され、消滅すべきである。それぞれあってそれでいい、ではない。また、川原准教授が述べたのは「コミュニケーションを円滑にしたいのでは」という説であり、「ちっちゃいと思われたい」という説ではない。「コミュニケーションを円滑にしたい」を、声帯の細さや赤ちゃんに対する声の高さから「ちっちゃい」のアナロジーに還元するのは、おかしい。

 

 「無防備、やさしい、印象がいい」といったもろもろはどれも、もともと「かわいくて攻撃力の弱い小さい生き物」と関係しているので、ゆるく「ちっちゃい」の範疇に入れていいのではないか、という人が出てくるだろう。それは、日本語、中国語、韓国語、ベトナム語、どれも漢語由来の語彙が入っているから、同じグループにしていいだろう、というくらい、ガバガバな議論である。一般向けの「わかりやすさ」にしても、ミスリーディングである。

 

2. 社会における女性と「声」

2.1 どんな戦略を使っても、女性は男性に比べて電話口で不利である

 私は、それなりに自分の主張等をしっかり述べられる方である。また、それなりに早口で、強い口調も使いこなせる方である。しかし、それでも、色々な契約や、家に関する電話での問い合わせを、一部夫に頼んでいる。

 

 昔々、実家暮らしだったときに、新聞の朝刊が届いていないことがあった。新聞の販売所に電話すると、電話口の中年男性の対応がとてもぞんざいで、悪かった。このようなことが、2回ほど起こった。同じ販売所に同じ要件で父が電話するときは、相手はしっかりと謝罪し、誠意をもった対応をしてくれるそうである。(ちなみに、それなりに怖い調子でのクレーム電話も結構聞いたことがあるが、父は声が高い方、普段の口調は穏やかで、販売所に電話するときは、ほぼ要件のみである)。

 

 このような状況で、たとえ電話口でも、下手に出て、攻撃的でない口調で電話したところで、必ずしもよい結果が得られるとは限らない。そういうときは、女性だって電話口で声を低くしたり、攻撃的な口調になったりすることも多いだろう。きっと、そういう電話も多くあるに違いない。そうした現実は、置いておかれている。

 

2.2 日本の女性が「ちっちゃいとおもわれたい」場面なんてほとんどない

 電話だけではない。痴漢がいるかもしれない満員電車。体当たりでわざと女性を狙ってぶつかってくる男性がたまにいる、混雑した駅構内。後ろから誰かがつけているかもしれない、夜の一人歩き。おなかがすいて、男子と同じくらい給食がほしいとき。バリバリ働く人が求められる就職面接。日本社会には、いくらでも女性が「ちっちゃいと思われたくない」場面がある。

 

「ちっちゃいとおもわれ」て得することは、現代の日本社会では大変少ない。「ちっちゃく」おもわれて、電車で席を譲られたりすることだってない。

 

 個人の望むものによるだろうが、私には「ちっちゃいとおもわれたい」という場面はない。

 

2.3 テレビ番組による、女性の意図に関する女性の意見の抹殺

 番組が作った(と思われる)質問の答えは「意志・意図」を明記している一方で、「意志・意図」に関しては明確なデータを得られていない。その一方で、そのことに関する実際の女性の「意志・意図」に関する主張が見られない。また、解釈が見られない。音声に対する社会的印象とそこから導き出された「女性の意図」の解釈に対して、女性専門家ないし説得力や権威のある女性の解釈が見当たらない。(一般女性にこの説を紹介してどう思うか聞けばきっと、「そうかもしれない」とか「わからない」といった答えが出ることが多く、番組はそれを中心に紹介するのではないか)。

 この番組のこの回、Twitter等見る限り(そしてうちの家族の反応を見る限り)、それなりに反響があったが、批判をほとんど見なかった。言語学の世界(Twitter)では、言語学的知見が用いられたこと自体が好評だった。もちろん、協力した研究者に対して否定的なコメントととらえられそうなことを誰も言いたくなかっただろう(私も別に言いたくないし、本稿において研究者を批判しないように注意していることは伝わるだろう)。研究自体はおかしい点はなく、誰も別に敵を作りたいとか攻撃をしたいわけではないので、そのままだったのだろう。今回の件、欧米だったら炎上する可能性はあるし、社会言語学者(女性も結構いる)がもう少し何か言ったかもしれない。今日まで、批判がないこともびっくりした。まあ、当事者じゃない人にとっては、ただの一回性の番組だというのもあるのだろう。

 

3. さいごに

3.1 どうして今さら?もっと早く書けばいいのに

 この番組が放送された当初は学期中であり、大学教員の仕事のかたわら夜間や早朝も子の夜泣きで起こされ授乳していたため、睡眠は細切れで、とにかく仕事と生活をまわしていくだけで精一杯だった。その後、30~40代女性の運動量が少ないことで、チコちゃんが「ボーっと生きてんじゃないよ」といったとかいわないとかで「炎上」していた。まさしく私も仕事と家事(夫がだいぶやっているとはいえ)と育児とで、駅前にジムがあっても通えないような生活を送っている、フルタイムで働く子育て世代女性である。そのようなわけで、何かあっても、すぐそれなりに対応・反応できるわけではない。

 

 即時的なレスポンスよりはずっと効果は薄いが、人文社会科学の知識が、ウケやわかりやすさのために少し改変されたりすることに関しての議論が最近あったので、それを機に、ここに書いておこうと思った。