ALL iz thiik hai! 一社会言語学者のブログ

社会言語学&バイリンガリズム&南アジア系移民 研究を中心とした自分の思索の記録 ALL iz thiik hai とは、訳すと「ALL is オーケーだ」。かなり色々なものをかけたマニアックで深ーい表現。

オンライン語学講座(マイナー言語)を楽しむ―コミュニティの重要性

同業者(大学教員・言語学)が書いた、以下の記事群に触発されて、本記事を書くことになった。以下の記事群は、主にオンライン個人レッスン・セミプライベートレッスンと独学のコツを書いたものだ。

 

note.com

 

 一方で、本記事では、ゆるゆるオンライングループレッスンに参加した、個人的な体験談・感想(メリット・デメリット)を述べる。

 

 

 

 

最強の一般向け語学講座がオンライン化した!

コロナ禍によるオンライン化により、これまで対面で行ってきた語学スクール(語学学校)のレッスンを、自宅でも受けられることになった。これは、私を含む、日々の生活で忙しい人たちにとって、語学学習の重要な選択肢が増えたという点で、画期的だった。

 

 

 

近年、語学学習を売りにするデジタルコンテンツやオンラインサービスは増え、学習スタイルはますます多様になった。しかし、カリキュラム・内容の質をある程度保証する語学スクールの存在は、安心感がある。忙しい毎日にあって、提供される内容に不満を抱いたり、交渉するほど面倒なことはない。特に、マイナー言語*1になればなるほど、語学講師としての経験を積んできた人から教わる機会は、希少かつ貴重である。

 

都内でも、マイナー言語の学習機会は非常に限られている。その中でも、私は東京外国語大学(TUFS)のオープンアカデミーを信頼している。シラバスや運営を吟味したわけではないが、大学の名が冠されているところは、それに値するような人選をしていたり、講師自身も高い意識をもち研鑽をしながら授業をするだろう、と同業者としては期待しているからである*2。東京23区の東側に住んでいる私には、府中にある東京外国語大学は遠い。勤務先からはさらに遠いので、出勤帰りに寄る、というのも大変だ。しかも一般向け語学講座は夜に開講されていたりして、早寝早起きの私はとても通えなかった。そのため、オンライン化で語学教室に通うという選択肢が、身近になった。

 

そのようなわけで、コロナ禍で講座を受講してみた感想をここで少し述べてみたい。今年度と昨年度で、1クラスずつ、いずれも、南アジア言語である。今年度は「中級」クラスなので、特に「コアな人たち」が集まるグループのようである。(夫の話によると、マイナー言語は「初級」でも十分に「コアな人たち」ばかりらしいが…)

 

tufsoa.jp

 

 

 

 

オンライン語学教室のメリット

 いうまでもなく、通学の時間がなくなったことは、学習者と講師にとって、最大のメリットだろう。実際に受講してみて見つけた、他のメリットも挙げる。

Google検索時代の語学学習

 とあるクラスで、講師がGoogle mapでテクストの内容に関連する地域の写真を検索して、共有したことがあった。これ自体は、確かに対面の教室でもできる。しかし、同じ時間で、学習者の方も、講師が挙げたキーワードに従って、各自でその内容に関連することをその場で調べることができ、理解や関心が深まるのである。

 もう一つは、予習で調べそびれた単語をささっと辞書やオンライン辞書(翻訳機能)で引くことができることである。大学の英語の授業では教員として予習してくるように履修生に言ったり、スマホで翻訳機能を使うなとさんざん言っている身がこんなことけしからん、と思われるだろう。しかし、初中級レベルの学習者にとっては、わからない単語だらけで、辞書を引くだけで時間がかかる。本業は語学講座ではないので、つい予習をしそびれてしまうこともある。趣味の語学は、大学の授業と違って、単位認定のルールに従って自力で使えるようになることを目指しているわけではない。まさか、お金を払って、自動翻訳丸投げで授業を受ける人はいないだろう。その場でさっと調べられれば、ペースを著しく乱すこともなく、周囲の履修生や講師のモチベーションをそがないだろう。(そもそも、大学でうるさいのは、学位を授けるための質保証と、履修生と講師のモチベーションをだいぶそぐから、というのが大きいと思われる)

掲示板・資料共有機能(LMS - Learning Management System)

 LMSではPDF化した資料が配布されるので、保存もしやすい。私は整理整頓が苦手なので、現代、多くの書類が電子化されPDFで保存できるようになって、本当によかったと常々思っている。印刷しないでPDFにそのままハイライトしたりメモしたりして、便利だろう。私はデジタルペーパーで見ているので、文字はペン書きで読みづらいが、PC等でタイプでメモしている人なら、通常よりもメモが見やすいだろう。教員も、「後で渡す」という資料を、次回を待たずに配布することができるし、学習者も掲示板で質問できる(+教員も回答を準備できる)。

 

オンラインコミュニティ(SNS)との接続性

 通常だったら帰り道に一緒になった人たちでおしゃべりするような授業に関するコメントを、SNSで見ることができる。私が履修したクラスの一つは、半数以上がTwitter上で相互フォローだった(少なくとも、そうなった)。そんなことが判明するのも、その方々が授業についてつぶやいてくださるからなのだが。私自身はそういうつぶやきをあまりしていないが、Twitter上で授業に関するつぶやきを見ると、同じように楽しんでいるor苦労しているとわかるので、孤独に学習している感じがなく、楽しい。また、会ったり直接おしゃべりしたことないのに、zoom上でも非常に安心感がある。

 

現地滞在者の生の声

 オンライン講座なので、なんと、コロナ禍なのにその言語が話されている現地から参加している受講生の方がいらっしゃった。現地の状況とかを知ることができるので、気分的に都内の教室で受講しているよりも、現地が近く感じられる

 

オンライン語学教室で気になった点

知り合い同士は盛り上がる一方で、ニューカマーは疎外感?

 オンライン学会・研究会・懇親会の参加において、既に知らない人たちの輪に入っていくことが難しいという愚痴を、特に院生・若手研究者等のSNS投稿で見た。この点に関して、オンライン語学教室も同じだと思われる。

 昨年受講した講座は、講師も受講生も誰も知らなかった。自分のフォローしている範囲内のTwitterでも見つけられなかった。しかし、複数の受講生は、講師とすでに知り合いだったようで、話題が振りやすかったようだ。話が盛り上がるのは、その既知の仲ではない受講生にもポジティブに働くこともあることは否めない。このようなことは、対面の講座でもあることだろう。しかし、対面の教室と異なり、雑談もできない状況で、そのリピーターないし講師と何のつながりなのか、聞きたくても聞けない。その輪に入りづらく、なんとなく疎外感を感じることもあるだろう。

 そのような体験をしたので、今年度受講している講座では、初回に交流を意図して雑談会(任意参加)を提案した。授業後に別なzoomアカウントで集まる、というものだ。講師の先生はお忙しいだろうしと思っていたら、私を含め受講生の半分以上とすでに知りあいだったというのもあり、雑談会に参加してくださり、盛り上がった。

 

フルネーム本名顔出しで学習するリスク

 これはTUFSオープンアカデミーのみの問題かもしれないし、オンライン講座というシステム、または現状の社会的な価値観の問題かもしれない。

 現状として、多くの大学では、フルネーム本名顔出し(顔出しは強制されない授業が圧倒的)でオンライン授業をしている。しかし、社会人学習者にもこれが必要かどうかは、検討する必要がある。ひとつは、通称姓が使えないことだ。TUFSオープンアカデミーでは支払いはクレジットカード決済のみなので、みな戸籍名で申し込みをしている。そのうえで、学習のログインは、この決済時の氏名を使うように求めている。もちろん、もしかして問い合わせれば特別に異なる氏名を使うことができるのかもしれないが(そしてほとんどの人はログイン時にローマ字名を使っているが)、対面クラスならこうしたことはなかったと思うので、ちょっと気になる。

 対面授業ならば、上の名前だけで済ませることができるが、オンラインではフルネームになっている。人によっては、オンライン上にその人の名前がついたものがたくさんあり、検索にひっかかる。私もそれを承知で受講してはいるが、たかが語学のクラスで、本業や様々な事情を明かされずに学習したい人にとっては苦しいだろう。逆に、通称を覚えてもらったり、本業等の活動を広くしってほしい人もいるかもしれない(もちろん、語学クラスでネットワーキングは禁止だが)。

 

言語文化的資源・耳寄り情報・イベントへのアクセス(2021.9.3追記)

 マイナー言語の講座では、似たような興味関心を持っている人がいるので、受講生相互の情報交換が、学習の動機を保つためにも重要である。人によっては、学習そのものよりも、その興味関心のシェアと情報交換が、講座受講の大きな動機となっているかもしれない。〇〇大使館で××イベントがあるらしい、とか、〇〇料理店がおいしい、とか、そういう情報を交換し合える貴重な場である。意外とSNSのみでは入ってこない情報が入ってくるものだ。現在、コロナ禍ということもあり、そもそも会食やイベントが控えられている傾向にあるので機会そのものも減っている。それでも、オンラインイベントやレストラン情報を含め、海外に行かずに国内で少しでもその言語文化に触れる機会はゼロではない。そのような情報交換ができないのは、残念ではある。

 

まとめ

 大学の授業を教える側として、どれだけオンライン化で苦労や楽しくない経験が多かったかを考えると、今学期受講している講座は本当に楽しい。それは、サービスを受ける側だからというだけでなく、上記のように、学ぶコミュニティの存在や、それがもたらす動機付けがうまくいっているからだろう。

 また、オンライン化とは関係ないのでここまでで言わなかったが、楽しい理由の半分は、講師の先生が素晴らしいからだと思う。(他の先生でも十分クオリティは高いと思うが)今回の先生は、長年本業で教えており、とてもスムーズで、学習ポイントを落とさず、内容に幅と深みを持たせ、雑談も交えながらほどよいペースで教授されているのがよくわかる。講師の先生も、あまりストレスを感じずにやれているような感じが伝わってくる。通常だったら、この先生に教われることはないらしいので、今回はたまたまとってもラッキー!

*1:書店において語学教材の数が相対的に少ない言語

*2:ちなみに、大学の名が冠されていないマイナー言語も提供するもっと都心の某語学スクールは、個人的に信頼できなくなった。以前とあるところで、聞いている限りでは大した経験(語学力、専門性、滞在経験も長くない、発音も??)がないのにそこで「〇〇語を教えている」と半ば自慢している人に出会って、ショックを受けたのであった。〇〇語は結構メジャーな外国語で、潜在的講師は他にもいるはず、ネイティブもいるはずであるにも関わらず、である