ALL iz thiik hai! 一社会言語学者のブログ

社会言語学&バイリンガリズム&南アジア系移民 研究を中心とした自分の思索の記録 ALL iz thiik hai とは、訳すと「ALL is オーケーだ」。かなり色々なものをかけたマニアックで深ーい表現。

「おうち英語」に関する雑感

(注:「おうち英語」の実践について役に立つことは、書いていません。あくまで社会言語学者の「雑感」として、このテーマについて考えた過去の思い出話をつれづれ書いています。)

 

 

私の「子どもと英語学習」に対するスタンスは、過去のX/Twitter投稿にたびたび表明してきた。過去をさかのぼってみても、特に変わってはいない。

 

 

 

 

上記は、あるバラエティ番組に出演した林修氏が言ったことばが、ネットニュースになって一部で話題になっていたのを取り上げたと思われる。番組を見ていないのだが、文字で書かれた流れからは、ダルヴィッシュ紗英子さんが、早期から息子さんに英語(英語媒介?)の教育をさせていることを、「意味がない」といったニュアンスで批判した(というより番組のノリで暗に嘲笑した?)と解釈した。

 

(ちなみに、寺沢拓敬さんが貼ってたリンクを発見)

 

 

学校が同じとはいえ、キャンパスが異なる私と寺沢さんが学会(日本言語政策学会)で初めて出会ったのは、(多分)私が学部4年生だった2007年頃だった。あの時点で、すでに慶應義塾大学の大津由紀雄教授(認知言語学が専門)を中心に、小学校英語教育導入に反対をしていて、新聞や雑誌の記事になったり、大津氏は様々な論者を携えて何冊も本を出版していた。

 

 

(↑このシリーズだけで3冊、それからほかの多くの出版社からも様々な関連書籍を世に出していた)

 

 

それまで言語学者は、言語の問題に関してあまり干渉しないスタンスだったと思ったので、こんなにも小学校英語教育の導入だけに賛成や反対が起こるのはすごいことだと思った。しかも、大津氏の本を読んでも、あまり言語学的になぜ幼児英語教育がダメなのかは明瞭ではなかった。

大津氏の主な論は、幼少時から英語に触れることによって、母語のカテゴリー化(認知言語学)に影響が及ぶ、そこから母語全般に影響が及び、思考能力が育たない、といったものだった(と記憶している)。そんなに影響があるのだろうか。もし大津氏の論が正しければ、3歳から2年間米国に暮らし、英語を幼稚園で話していた私は、日本語の発達に相当問題があり、勉強もダメだったはずである。しかし、私は日本の小学校で勉強に関しては問題なく過ごした(むしろ成績は良かった)。だから、当時、いろいろな言語学の本を読んだり、講義を聞いたりして、この論が正しいのかについて自分で考えていた。大津氏の論を、裏付けるような論や、支持するようなデータはほとんど見られなかった。大津氏は第一言語習得(母語習得・獲得)の視点からの類推で、断言的に主張を行っていたが、国外では、2言語以上を母語ないし同時に幼少時から習得・獲得するケースはそんなに珍しくないし、そうした人々が大津氏が警告するような大きな問題を抱えている、という深刻な主張も見られなかった。さすがに一介の学部生が慶應義塾大学教授の論はおかしい、という勇気もなかった。

 

なぜ、こんなに根拠が弱いのにそのような主張を行うのか。海外の社会言語学の文献から、「モノリンガル主義的な見方」という概念を学んだ。そして、そうしたモノリンガル主義が、どのように多数派ではない形の言語使用をけん制・制限したりしようとするのか、という、海外の社会言語学でされていた議論に関心をもった(最近では日本でもなされているが、当時は少なかった)。多くの人には「きっと日本における英語コンプレックス」「ルサンチマンでしょう」と言われた。しかし、それでは社会言語学的な議論に載せられない。私は卒論のほかに、日本におけるモノリンガル主義が関係するこのテーマについて少し考えてみたく、別な科目のレポートの執筆のために、複数の友人に「インタビュー」をした。その結果、みな似たような「語り」がみられたのは、本当に面白かった(が、当時それをどのように提示し議論できるかに関して、能力が不足していた)。

そんな当時、寺沢さんがたくさんの小学校英語教育に関する賛成派・反対派の論を分析した結果を学会で発表していて、本当に面白かった。賛成・反対のどちらになるかは、ナショナリズムとも、エリート主義とも、あまり関係なく、一筋縄ではいかない問題だった。

 

このような時代から、今日は、小学校英語教育が結果的に導入され、小学校英語では足りないと思う人々が、様々なリソースを使って自身の子供に学校外で英語を学ばせ、SNSやYouTubeでそのノウハウを共有している時代になった。そして、それが「言語学会」で公開シンポジウムとして話題提供されるほどになった。早期英語教育に対して賛成論が増えたのか。表面的には、昔のようにはバッシングされず、嘲笑されなくなってきているようにも見える。しかし、だからといって、日本社会における英語に対する様々な感情や価値観、特に、英語と社会階層などとの関連性など、様々な言語イデオロギーが、劇的に変わったとも思えない(あくまで印象である)。まだまだ分断はあり、大津氏のように大きな声で主張や批判したりもせず、互いに干渉しなくなっているともいえる。下記のシンポジウムで出た内容に関して、一部でデータと分析に関する言語学者からの(建設的)批判がX(Twitter)でも見られたが、あまり盛り上がらなかったようにも見える。

 

(そのシンポジウムの動画↓  私は当日に日本言語政策学会で口頭発表していた行けなかったうえ、まだこの動画をじっくり見られていない。)

 

 

ここまで書いてきて、「ではお前はどうなのだ」と思われるだろう。

私は直接的に英語に関するイデオロギーを研究していないが、私の言語観とその背景をさらけだしたら、また数千字とかかかりそうなので、とりあえず比較的最近投稿したことばを引用して、筆を置こうと思う。

 

 

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このブログ記事は、Advent Calendar 2023「言語学な人々」の第2弾に参加しています。

言語學なるひと〴〵 Advent Calendar 2023 - Adventar

(第1弾 言語学な人々 Advent Calendar 2023 - Adventar もあり)