『婚礼』ー在ベルギーパキスタン人女子高生がヒロインの仏語(+ウルドゥー語)映画
表題の通り、ベルギーで暮らすパキスタン人(パキスタン系ベルギー人というべきだろうか)の18歳少女の「婚礼」に関する映画がオンラインで視聴できたので、観てみた。
動画系サービスに登録するほど動画見る暇ないし、だけどアマゾンプライム以上の自分の関心のある映画見たいし、昨今は映画館行くのも難しくなったので、こういう単発で有料オンライン視聴できるのはありがたい。
一般投票の「観客賞」というが、一部の日本語によるレビューを見ていると、リベラルなベルギーの主流若者文化とパキスタンの「伝統的」価値観のコントラストと、悲劇的なラストが、「印象に残った」らしい。
観る前に海外サイトのレビューを読んでいた(ネタバレなしで)。その中で、主演女優以外に特記すべきことのない名誉殺人物語というものがあった。正直私も、話としては結構ドストレートに名誉殺人問題の映画だと思えたので、特記すべきことはなかった。欧州における名誉殺人問題をちょっと美しいシーン等でシネマティックに楽しめちゃう映画だったな、という感想。
クライマックスがあっけなく予測可能な悲劇で、主演女優は美しいし、ところどころシーンもきれいだし、「君の写真を見た瞬間から感じたんだ、君を愛してるって」ってあのダサい中途半端な長さのひげをはやした青年とスカイプ越しにお見合いするとかなんだかリアルで笑える。名誉殺人を美しい青春とその隣り合わせにある対照的な悲劇に昇華させたいのか、と突っ込みたくなった。
ベルギー人の親友に助けてもらい、途中ではその親友のお父さんまでもが協力するのだが、「西洋の価値観を我々におしつけるな、我々に関与するな」というヒロインのお父さんの言葉が効いたのか、その後ヒロインが家出したときに「どうすればいい」と助言を求めるヒロインの兄に「私にもどうしたらいいかわからない」と結局はその親友のお父さんも言う。つまり、「我々西洋人は文化が違うから、パキスタン人パパ・ママ・長男・娘たちの紡ぐパキスタン的人間関係に気楽に口を挟むべきでない」というスタンスなのだろうか。名誉殺人はすでに欧州でも問題になっているはずだが(イギリスだけなのかな?)、それを問題視せず、静観しよう、というメッセージなのだろうか。これがフランス語圏的スタンスなのだろうか。(イギリスやアメリカでこんな描写にしたら大批判だな)
仲間のように見えて父や母の言いなりになるように説得を試みるヒロインの兄や姉。「世の中には公平なものなんてないでしょう、女だからしかたない」と説得する姉。「あなたの気持ちはよくわかる」という姉。(ちなみに興味深いことに、同じようにヒロインの「気持ちがよくわかる」とこの映画で発言したのは、なぜか親友のお父さんだったりする)直接言うだけでは子供を説得できず、病気になったり、他の子どもに説得役を頼む親。「お前はすべて(家族全員)を失うことになるぞ」と脅す兄。同時代の日本で夫の姓を名乗ることを拒んだがゆえに実家と義実家の両方から関係を絶たれている身としては、このいろいろと説得をする家族のやりとりに、自分の今の状況を重ねてしまった。でも、その点、家族問題の葛藤のあり方は、いまの日本のリアルの方が映画よりも進んでいる。日本では「毒親問題」とか呼んで、関係を断ったりするわけだから。この映画では、伝統を押し付ける家族と、少し介入しようとするが十分には介入しなかった学校・警察と、ヒロインをサポートするけど結局は傍観的になってしまうベルギー人の友人たちの三者が、大きな衝突をせずに、静かに予定された悲劇へと向かってしまうのだった。
余談:批判するつもりはないが、一部の名前はあまりパキスタン人ぽくなくて、むしろ仏語圏にたくさんいるアラブ人に多くいそうなものだった。ネイティブでも南アジア系でもないのにウルドゥー語で演じた役者さん、おつかれさま。フランス語・ウルドゥー語のコードスイッチングが頻繁にみられたが、特に語用論的な効果をもって使われているわけではなさそうだった。