小山亘『コミュニケーション論のまなざし』(2012年、三元社)
『在日パキスタン人児童の多言語使用』を出版してよかったこと
先週後半は、拙著『在日パキスタン人児童の多言語使用』を読んでくださった、私の存じ上げない非研究者の方と、オンライン、オフラインでお話しできました。
お二人とも、それぞれ、図書館で借りて読んでいただいたそうで、嬉しかったです。
本を出版してよかったことは、その先の対話が生まれることです。
読み手だったときは、情報を伝えることが使命だと思っていましたが、書き手としては、それよりも、その反応がずっと面白いです。
今回の出版は、学術書出版助成を受けていることもあり、学術書出版を中心にしている出版社のアドヴァイスにおまかせし、元の博士論文に近い形で出版しています。一般向けに書きなおしたいと申し上げたら、もっと偉くなってから書けばいいとの趣旨のアドヴァイスを頂きました。とても残念でしたが、研究者のキャリア形成の観点からは、それは大変的確なアドヴァイスでした。
研究的には、記述に終わっているところ、肝心の構想のところの論「言語を切り替えるコードスイッチングと、言語内で話し方を変えるスタイルシフトを同列に扱って分析してみてはどうか」がしっかり構築されていないところが、まだまだ改善の余地がある、と思います。本書にも書いたような気がしますが。
ほか、何人かに言っていただいたことは、特にエピローグ等、在日パキスタン人の子供たちの生活世界や進んでいく人生が垣間見えるところがとても感慨深かったようです。私としても、フィールドワークはたくさんの小さな感激がいっぱいですが、それらは研究には書けないので、博士論文を書きながら、ドキュメンタリー作家になりたかったな、と思いました。
当該モスクの方々には献本が「難しくてわからなかった」と言われ、本当に心苦しかったです。あの本、わからなくて当然です。少し勉強してダブルアクセルとトリプルアクセルの見分けがつくようになっても、高得点のトリプルアクセルと低得点のトリプルアクセルは、勉強しないと見分けられないのと一緒だと思います。
献本させていただいているのは、お礼のしるしなので、「これくらい読んでわかるでしょう」「わかってください」という意味じゃないんです。本当にごめんなさい。
研究は趣味ではない
先日、会社勤めの友人と久々にランチした。
これまで感情や意見のすれ違いがあったこともあったけど、基本的には互いを尊重してこられた、とても親しい友人だ。
研究世界にいると趣味が続けづらいといったら、まあそうだよね、と言われ、
「でも研究は趣味みたいなものでしょ」
と言われた。
いい返事ができなくて、その場で、「まあそうかもね」と言った。
でも、ちょっと失敗したなとは思った。
大変だけど、ちょっと努力するし、動機があって行う活動で、長く続ける活動で、経済的な見返りのためにやっているわけではなく、時に自腹を切っているという点では、確かに「趣味」に近いと言えなくもない。
しかし、同様に、「趣味」と言ってはいけないのだ。
今回は、なぜ「趣味」と言ってはならないか、非職業的研究者に対してではなく、どちらかといえば自分を含めた職業的研究者に対する自戒の気持ちをこめて、書きこぼしておく。
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ジム・カミンズ&中島和子『言語マイノリティを支える教育』(2011年、慶應義塾大学出版会)
バイリンガリズム、言語教育、相互依存仮説。
聞いたことあるけど、一体どこの何を読めば詳しくわかるのか。
カミンズの古い論文を読んでいけばいいのか?でもカミンズは寡作だ。
私を含め、そんな困っている人のために、中島和子氏がエネルギーを注ぎ込んで翻訳・執筆したのが以下の著書だろう。
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宝塚歌劇『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』 星組@東京
大変幸運なことに、『恋する輪廻オーム・シャンティー・オーム』の宝塚版を見ることができた。しかも、私の初・宝塚鑑賞となった。
(ポスター | 星組公演 『オーム・シャンティ・オーム -恋する輪廻-』 | 宝塚歌劇公式ホームページ)
ポップで「マサ―ラー」な舞台。そして『オーム・シャンティ―・オーム』のロゴ。
ほら、ミラーボールも!
想定通り。わくわく♪
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映画『ミスター&ミセスアイヤル Mr. and Mrs. Iyer』(2002)
タミル人バラモン(ヒンドゥー教徒上位カースト)(かつ物理学修士)のミーヌが、山奥の辺境から、乳児を連れて一人で夫+夫親族の待つコルカタに戻る間に、勃発した地域的な宗教対立抗争に巻き込まれる。父の知人の知人である野生動物写真家"ラージャー"がこの旅路に同行していて、ところどころで助けられていたが、その人がムスリムであることを途中で知る。ショックを受け、一瞬侮蔑しながらも、勃発した厳戒態勢の中、命の危うい彼をかばい、自分の夫Mr. Iyerであるとテロリストおよび会う人会う人に述べる。後半では、二人の間に淡い愛情が育つが、(もちろん)終着地のコルカタ駅で、別れる。
(写真:Mr. and Mrs. Iyer - Wikipedia)
この映画を2017年に見てショッキングなのは、まだSNSの発達していない2002年から15年経った今でも、宗教対立が勃発しやすいインドの情勢は大きく変化していないこと。2015年の終わりから2016年の初めにかけてにあった、牛肉を食べたためムスリムを村で暴行して死亡させ、そしてそれで各地に飛び火する宗教ヘイト、は記憶に新しい。
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日系カナダ人日英コードスイッチング研究のまとめ(作業中)
日英コードスイッチングは、社会言語学の教科書でよく言及されるが、ほんの短い紹介で終わる。そのため、どのように研究され、どのようなことがわかったのか、あまりよく知らない人も多い。
Nishimura(1951-2004)はハワイでの交通事故で亡くなったし、コードスイッチングの研究も盛んではないし、学術的な潮流としても時代遅れとなり、この興味深い研究データは、あまり省みられることがない。
ここで少し、その研究に関して、詳細なメモをとっておくことにする。
主に、次の二つからの情報をまとめている。
Nishimura, Miwa (1995) Varietal conditioning in Japanese/English
Code-switching. Language Sciences, Vol. 17. No. 2, pp. 123-145,
Nishimura, Miwa (1998) Japanese/English Code-switching: Syntax and Pragmatics. Peter Lang.
続きを読む映画『十四夜の月 Chaudhvin Ka Chand』 (1960)
グル・ダットGuru Dutt作品は、2作見ているが、
約10年ぶりにまた別なものを見る機会に恵まれた。
『十四夜の月 (Chaudhvin Ka Chand)』 1960年インドの映画。
続きを読む書籍案内:日本語で読める「社会言語学」の教科書~PART 1
社会言語学的トピックを扱っている日本語の書籍は意外とある。
ここでは、 大学の教養科目・専門科目「社会言語学」の
概説の教科書を、古いもの順に、簡単に紹介する。
今回は、パート1として、2001年までの教科書を紹介する。
(もっと新しい教科書が集まるパート2はこちら ↓)
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差別的多言語使用、Mock Spanishとは
Mock Spanish (Hill 1995) の要約
- 直訳すると、疑似スペイン語、または嘲笑スペイン語
- 南米原住民を専門とする言語人類学者Jane Hillによる概念
- アメリカの非スペイン語話者(たいていはアングロ・ヨーロッパ系アメリカ人)が、基本的に英語のコミュニケーション内で使う、ちょっとしたスペイン語のフレーズ
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